日本国の国歌としてもおなじみの君が代。小学生から大人まで、歌ったことのない人はいないでしょう。たった数行で終わってしまう短い歌詞ですが、実は深い意味が込められた歌詞でもあるのです。
そこで今回は、君が代の歌詞にはどんな意味があるのか、また国歌となるまでにはどのような背景があったのかなどをご紹介したいと思います。スポーツ観戦等で聞く機会も多い君が代ですが、意味を知っていると少し感じ方も変わりますね。
こちらの記事では、
- 君が代の歌詞の意味とは?
- 日本国の国歌となった背景についてわかりやすくご紹介!
についてご紹介します。
君が代の歌詞の意味とは?
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔のむすまで
古めかしい言葉が連なる君が代ですが、大まかにとらえると「大切な人の長寿を願う歌」となります。冒頭の「君」は、歌い手それぞれが大切に思う人のこと。日本国に暮らす全ての人々が幸せに、長い人生を生きてほしいと願う歌なのです。
君が代は:あなたの人生は
千代に八千代に:千年も、八千年も、またはそれ以上に
さざれ石の:小さな石が
巌となりて:大きな岩となり
苔のむすまで:苔が生えるようなとてつもなく長い間、続いていってほしいと願う
「千代」や「八千代」は、古くから使われる「長い年月」を表す言葉です。さらに、小さな石が大きく成長し、さらには苔でいっぱいになるという途方もない期間を、大切なあなたには過ごしてほしいという意味になります。
元々の君が代は、「君が代は」ではなく「我が君は」という歌い出しから始まっていたそう。「我が君」という言葉は、主に男性が親愛なる女性に向けて使う言葉。そのため、当初君が代は「愛する女性に向けた歌」として広まったという歴史を持っています。
そこから、広い意味で「大切な人」へ向けたものへと変わっていった君が代。音の美しい言葉で構成されており、まさに日本らしいしとやかさを感じる歌となっています。
日本国の国歌となった背景についてわかりやすくご紹介!
誰もが一度は耳にしたことのある「君が代」。正式に日本の国歌となったのは1999年のことですが、誕生したのは明治時代と歴史の長い歌でもあります。
大元となったのは、平安時代に編纂された「古今和歌集」にある1つの句。詠み人知らずとなっており、元祖が誰なのかは不明なままです。この時、先ほども紹介したように歌い出しが「我が君は」となっていました。
明治2年になり、日本国に国歌がないことを疑問に思ったイギリス公使館護衛隊歩兵大隊の軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンが、現在とは異なるメロディーで君が代を作曲します。その後、明治13年になると正式に君が代のメロディーを作曲する動きが始まり、宮内庁の奥好義がベースとなる旋律を、林廣守が曲に起こし、ドイツ人作曲家のフランツ・エッケルトが編曲し今の君が代となりました。
現在はほとんど歌われることはありませんが、当時は4番まであった君が代。
君が代は
千ひろの底の
さざれ石の
うの居(ゐ)る磯と
現はるるまで
君が代は
千代ともささじ
天(あめ)の戸や
いづる月日の
限りなければ
君が代は
久しかるべし
わたらひや
いすゞの川の
流たえせで
2番では、海の底の小石が波に打たれて寄せ合い、鵜の集う磯ができるような長い時間、君の人生が続くように。3番では、あなたの人生は千年などと数えることはできず、空の間から見えるような太陽や月と同じく永遠なのだと詠んでいます。
そして4番は、三重県伊勢市に流れる「五十鈴川」をイメージしながら、君の人生は五十鈴川の流れのように永遠に、流れが絶えることはないと詠んでいるのです。
4番までの間に、言いたいことはたった1つだけ。大切にしたい人の人生を思い、幸せを思った歌が「君が代」だったのですね。
まとめ
今回は日本国歌「君が代」の歌詞がどんな意味を持っているのかについてご紹介しました。これから歌う機会があれば、意味も併せて思い出してみましょう。壮大なスケールと共に、大切な人を思い浮かべたくなりますね。